【最終更新日】2023年12月20日
こんにちは。ワインブックスの前場です。
突然ですが、あなたは何気なく、意識しないで「女性らしいワイン」「男性らしいワイン」とワインを表現することはないでしょうか?
「え?俺の事?」
もし心当たりがある人であっても、ギクッとする必要はありません。
ワインの世界では普通のように「女性らしいワイン」「女性的なワイン」などと性差でワインを表現することはありましたので、「こういう表現もあるのか」と思うのは当然だからです。
ただし、仮にあなたが普段のワインライフで「女性らしいワイン」「男性らしいワイン」などの言葉を連発しているのだとしたらすこし踏みとどまる必要はあるかもしれません。
なお、今回ではタイトルは分かりやすく「女性的なワイン」としていますが、「男性的なワイン」についても同様の考えですので、適宜ご判断ください。
世界の流れは確実に性差でワインを表現することに抵抗を感じているし、抵抗を感じることの方がむしろ自然なことだと僕は考えています。
今回は、性差でワインを表現することについて検討してみましょう。
なお、記事の信頼性のために自分自身のことを説明しますと、僕はワイン系チャンネルで最大級のチャンネル「ワインブックス」を運営しています。
教育機関としてワインブックススクールといういつでもどこでもワインが学習できるオンラインスクールも運営しています。
また、個人では法律資格の行政書士でもあり、自身の行政書士事務所を運営していますので、このテーマを論じる程度の憲法の知識は持っています。
目次
女性的なワイン、男性的なワイン
なぜ使われてきたの?
ワインの文化は、現代のような本格的な知識や経験が一般層にまで浸透したのはここ数十年でしょう。
おそらく1980年代以降の流通革命以降に世界中に本格的に拡大したはずです。
最初の頃のワインの知識や経験といえば、そのほとんどはフランスワインが中心に語られていました。
どんなワインを検討するにしてもフランスワインが指標になっていたし、フランスワインがお手本でした。
もちろんクラシックワインとしてドイツやイタリア、ポルトガルなどの伝統国で本格的で品質の高いワインは造られていましたが、ワインの知識としてはフランスが圧倒的な存在感だったと思います。
そのフランスのワインの表現でも普通に女性的なワイン、男性的なワインは使われていましたし、だからこれを習う形で日本でも浸透していたのです。
当たり前でしょう。お手本にする国が使っているのですから、それを見習うのが普通の感覚です。
しかし時代はものすごいスピードで進んでいます。この流れに日本のワイン界は、少なくともこのテーマについては完全に遅れていると感じています。
女性的なワイン、男性的なワインとは?
否定するだけでは始まりませんので、ここで女性的なワイン、男性的なワインを検討してみましょう。
女性的なワインとはしなやか、なめらか、意図によってはセクシーなどの意味合いも含んでいるかもしれません。
例えば女性的な赤ワインといえばシャトーマルゴーが有名です。1級シャトーの中では全体的に滑らかで渋味が柔らかく、柔和な印象のためウィキペディアでも↑「最も女性的なワイン」と表現されています。
(ただし英語やフランス語のウィキペディアではシャトーマルゴーについて「女性的な」の表現は一切ありません)
ブルゴーニュワインの中で特に女性的と表現されるのはシャンボールミュジニーでしょう。
これも渋味がしなやかで滑らかで、決してごつごつしていないワインを表現したものになります。
では男性的とはどういうものか?その逆に渋味も強く、アルコールもあって酒質も強いワインを指すことが多いです。
例えばジュヴレシャンベルタンのワインは男性的と表現されることが多いですが、これは味わい全体がブルゴーニュワインの中では強くて酒質があることに起因しています(ナポレオンが愛したワインから由来することもあります)。
何が問題なの?
いろいろな人、いろいろな考え方の人がいる現代社会で、性別とか国籍とかでひとくくりにして、これを用いてワインを表現するのはテイスティングという共通言語としてふさわしくないと考えています。
僕はこの「女性的なワイン」の表現にずいぶん前から否定的な意見でした。これは法律を学習する以前からの話です。
「女性的なワイン」の言葉は端的に言えば「女性とはこういうもの」と一くくりにまとめたうえで、そのうえでワインに当てはめて表現しています。
女性を中身ではなくて単純に性差でひとくくりにしているし、こんな言葉がばんばん使われていて誰も疑問に思わないのが不思議です。
これだけいろいろな価値観が認められる時代に、単純な性差でワインを表現することは個人的にわからないし、もっと言えば気持ち悪いです。
ワイン界の考える「女性的」にあてはまらない人にすれば委縮をしてしまうし、当てはまらない個性をもつひとが、自身の個性を肯定的に捉えられなくなる可能性もあるはずです。
あなたはあなたの振る舞いに「女らしくない」「男らしくない」と言われて、カチンと来ませんでしょうか?
僕くらいの年齢の女性であれば一度は「女のくせに」という言葉は投げかけられた経験はあるかもしれません(汚い表現で申し訳ございません)。
僕だったらそんなことをいう人とは口もききたくありませんし、目も合わせたくありません。
使い方は違えど、「女のくせに」も女性をひとくくりにしていますが、「女性的なワイン」も女性とはこういうものという謎の定義でひとくくりにしています。
もちろん、ワイン業界がこの手の問題に疎いのは分かっていましたし、数的にはワイン界は圧倒的に男性社会です。
業界の重鎮にレディファーストを極端に尊重する人も多いので、なかなか声に出しにくい素地があるのも事実だと思います。
であれば、少しでもいいので話すきっかけ、議論するきっかけにしてみてはいかがでしょうか?
フェミニストなの?
なお、僕が「女性的なワイン」「女性らしいワイン」の表現をやめたほうがいいと思う理由は、いろいろなひと、いろいろな価値観が共存する現代で、単純に性差でひとくくりにしてワインを表現することが誤解のもとになるし、悲しむ人、委縮する人がいるからという意味合いが強いです。
フェミニストと思われるかもしれませんが、フェミニストについては論じるほどの知識や経験はありませんので、ここでは省いています。
「女性的な日本酒」は?
では、ほかのお酒はどうでしょうか?
お酒業界全般が女性的、男性的で表現する素地があるのであれば、また検討材料は変わるかもしれません。
「女性的 日本酒」で検索してみました。
しかし予想通りというか、検索順位のトップ20には日本酒を女性的と表現する記事は一つもありません。
日本酒が好きな女性を「日本酒女子」と呼んでいて、日本酒女子が増えている、そんな記事が多く見受けられました。
(これはこれで議論がありそうなキーワードですが、ここでは割愛します。)
嫌な予感がしてきました。では僕の得意なウェブマーケティングで検討してみましょう。
「女性的」の関連キーワードを見てみると、「女性的」と表現するキーワードは飲食物はおろか芸術でさえも一つもありません。
あるのは「女性的」+「ワイン」だけだったのです。
もちろん、「ほかではないから、だから無くすべきだ」と言うつもりはありません。良い個性は残すべきでしょう。
歴史や伝統を尊重して、「これがワインの世界の風潮なんだ」と言われればそれも仕方ないでしょう。
では、あなたは飲食物であるワインを性差でひとくくりにして「女性的」と表現する業界の風潮をどう感じるでしょうか。
正直、僕はワイン業界にいて、「ああ、ワイン業界はワインを性差で表現する業界なんだ」と思われるのは恥ずかしいです。
「ワイン業界は女性とはこういうもの、男性とはこういうもの」という固定観念が強い業界だと思われているようなものだからです。
「日本人的な味わいを感じる」
性差だとイメージしにくい場合もあると思いますので、国別で検討してみるとよりイメージしやすいかもしれません。
例えばフランスの有名ソムリエが甲州ワインをテイスティングしたとしましょう。
この時に「日本人的な味わいを感じる」と表現していたらどうでしょう?
おそらく多くの人は違和感を感じるはずです。
普通は「日本人にもいろいろいるよ。なにひとくくりにしてるの?」と思うでしょう。
仮にそのソムリエの意図する日本人が↑の様な人なのであれば、「いやいやあなたの考える日本人像はかなり偏っているよ」となるはずです。
そうでなくても僕だったら「このソムリエは日本人をひとくくりにして判断している」と思うし、これ以上はテイスティングコメントは聞きたくないと感じると思います。
普段の友人同士での会話や世間話とは違って、テイスティングコメントは他者に誤解がないように伝えるコミュニケーションツールです。
にもかかわらず「日本人的な味わい」を他者に共感を求めるところが押しつけがましいです。
レディファーストは?
この手の話題になると必ず出てくるのがレディファーストの問題です。
これはソムリエとしてはなかなか難しい問題です。ソムリエの実務はレディファーストだらけだからです。
実際のレストランのサービスは女性が最初で男性が最後です。中には女性の椅子を男性が引いて座らせてあげるのがマナーだと考えている人もいます。
これについては気配りの問題でしょう。さりげなくレディファーストができている男性は素敵だと思います。
ただし気配りの一環でしているのであればいいのですが、この行為の根幹が「女性は男性に守られるべき存在」なのであれば、僕には違和感があるし、普通に現代の感覚から外れていると思います
では、実務ではどうでしょうか?
実務の場面ではさすがにいきなり完全にレディファーストを無視するのは逆に違和感が強いかもしれません。というかそもそも無理です。
全くの順番もなく無秩序でサービスをしてしまうと逆にレストランサービスに混乱を起こすことも考えられます。
ただし、レディファーストに違和感を持つ人も多いし、「レディファースト ジェンダー」で検索すると否定的な意見も多いので、これは知っておくべきでしょう。
ソムリエ協会教本
ワインファンやソムリエであれば、「ワインの教科書」といえばソムリエ協会教本だと考えている人は多いはずです。
ただし、もしあなたが「教科書に載っているから正解」「教科書が正しい」と考えているのであれば先が思いやられます。
ここでソムリエ協会教本の流れを見てみましょう。
ソムリエ協会教本では、2020年度↑までは「女性的な」のテイスティング用語の記載がありました。
しかし2021年度ではこの表現はなくなり、ついには2022年度では「男性的な」の表現も削除されました。
もちろん、ただ単純に削除しただけかもしれませんし、また復活するかもしれませんが、おそらく世界の流れを意識してのことだと僕は推測していますし、希望しています。
分かりやすい分類
ひょっとしたら、あなたは「男性的、女性的とはわかりやすく表現した一つの例えだから許容するべきだ。」という意見かもしれません。
分かりやすい分類でワインを表現する、という意味でいえば確かに何となくのイメージはできるかもしれません。
また受け入れられてきた歴史からも事実でしょう。
分かりやすい分類はもちろんこれだけではありません。例えば伝統国とニューワールドもその一つでしょう。
これもざっくりとヨーロッパのワイン生産国とアメリカやオーストラリアなどの国々とを分類しています。
伝統国とニューワールドの国々ではワイン法もその考え方も、もちろんワインもある程度の比較が可能なほど一致した傾向があるため、分類されたのでしょう。
もちろん、この分類に違和感を持つ人もいるかもしれませんが、それ以上にわかりやすさやワインの汎用性への貢献などを考えて許容されているのです。
では、わかりやすい分類だから女性的、男性的の表現は許容するべきなのか?僕はそう思いません。
「女性らしさ」にとらわれて生きづらさを感じている人、「男性らしい」男性になれずに自分を恥ずかしいと感じる人にとってはワイン嫌いの一因にもなりかねません。
このように感じている人にすればワインを性差で表現することで「ワインの世界はこういうものなんだ」と抵抗を感じてしまうでしょう。
世界の流れは?
アメリカのヤフーで「feminine wine(女性的なワイン)」と検索すると、自然検索のトップ10のうち、6つの記事は女性的なワインの表現に対する反対的な記事、あるいは疑問視する記事でした(2022年6月23日)。
自然検索はそのキーワードを検索する人にとって最適な記事が上位に表示されるようになっています。
つまり、「女性的なワイン」に否定的な意見、あるいは疑問視する記事を検索ユーザーが求めていることの表れでもあります。
では日本ではどうか?
残念ですが日本のヤフーで「女性的なワイン」で検索しても、1ページ目にそれらしい記事はWBSの記事くらいです(2022年6月23日)。
もちろんこれだけで「世界の流れが」「日本は遅れている」というつもりはありません。ただし日本の検索エンジンとの温度差は明らかで、いかにこの手のテーマが論じづらい素地があるのかを表しています。
そんなこと言ったって、業界では・・・
ここまで腹落ちがして読んでくれたあなたには本当に申し訳ないのですが、これと似たような問題にソムリエ試験やWE試験、コンクールなどで出題がされる可能性は否定できません。
あるいは業界内の大御所と一緒にいると、その大御所が性差で物事を判断したり行動することに直面することもあると思います。
ここで
「いや単純な性差で判断することは時代にそぐいませんので気持ち悪いと思います」
と対決姿勢をとるのはやめましょう。
試験やコンクールでの出題に直面しても、審査側の求める回答を何のためらいもなく発してください。
面従腹背という言葉があります。
心の中では1㎜も尊敬していなくても顔では尊敬を表することも、人生では重要な戦術だとしてすでに定着しているから生まれた言葉です。
遅かれ早かれこのテーマはもっと語られるようになりますので、それを待ちましょう。
まとめ
今回は業界内ではほとんど語られていないテーマを取り上げましたので、ひょっとしたらびっくりされた方もいらっしゃったかもしれません。
あるいは自然に「女性的なワイン」「男性的な味わい」と表現してきた方にすれば、なんか恥ずかしい気持ちになった方もいらっしゃったと思います。
この場合は大変に申し訳ありませんでした。
ですが、最初に述べたようにこの表現は日本のワイン界が長いこと受け入れてきたし、普通に使われてきた言葉ですので、もしあなたが使っていてもそれは気に留めないようにしてください。
そのうえで、ここまでお読みのあなたであれば、少なくとも考えるきっかけにはなっているはずです。
僕は現実主義者なので、完全にこの手の表現をなくすことは無理だし、追求しすぎると逆にワインの楽しみにケチをつけることになるということは分かっているつもりです。
ですが、全くの無意識でいいかというとそうではないし、「日本のワイン界は遅れている」というイメージを持たれてしまいます。
ワインファン同士で、あるいはそうでない場合でも話すきっかけ、論じるきっかけになることを願います。
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